補陀落寺のフダラクとはサンスクリット語の梵:Potalaka(ポータカラ)の音写で観音浄土の意味がある。創建は天慶8年(945)後に天台宗15代目座主になった延昌僧正が廃絶していた明燈寺(清少納言の曾祖父、清原深養父の山荘)という山林寺院を再興したのが起源である。

『扶桑略記』によると天徳3年(959)4月29日に200人の僧侶で供養が行われたとあり、応和2年(962)には延昌の申請により村上天皇の御願寺となったことからも当時の興隆がうかがえる。

ご本尊は八尺の十一面千手観音であったと記され、鎌倉期成立の『吾妻鑑』には奥州平泉にある藤原基衡建立の毛越寺吉祥堂本尊はこの補陀落寺本尊を模倣して作られたとある。後白河法皇の大原御幸の際にもその名を記されており、当時は世に知られた山林寺院であった。

寺跡がある通称クダラコージ山の山裾を流れる東西の両俣川が出合うところ(当時はここに寺の山門があったとされる)は、親しみを込めて今も村の人々にダイモン(大門)と呼ばれている。