村の人々から「下の宮」と呼ばれ、第14代中哀天皇、第40代天武天皇を御祭神とする。

かつて下の宮とやっこう坂(薬王坂)の中間、水谷川の流れる山裾に大きな岩があり、その巨石の下に村の人々から「総さしさん」と呼ばれていた小さな祠があった。

壬申の乱の際、大海人皇子(のちの天武天皇)が逆賊に襲われ一時難を避けて鞍馬からやっこう坂を越えて静原に留まられた。皇子の事跡がこの総さしの宮に残されていたが、後に村人は天皇の徳を慕って現在の場所に御旅天皇社を建てられた。

それまで静原は賤原もしくは志津原と呼ばれていたが、大海人皇子が静原に滞留された折、身も心も静かになられたことから静原と名付けられたと言われている。